• Michie

ピアノコンサートでケータリング

最終更新: 2019年5月25日

瀬尾真喜子さんという美しく素敵なピアニストの方と友達です。(http://www.maki-p.com

ご自宅に素晴らしいピアノがあり、ホームコンサートをなさっています。


先日初めて、そのホームコンサートでケータリングをさせていただきました。

ショパンの時代のような(現代でも外国だと日常的なのかもですが)、サロンで音楽を聴いて、ワインを片手に歓談、なんていう本当に美しい時間を味わえるホームコンサート。

外国のそういうサロン文化を知らない私にとっては、未知の世界で、憧れとワクワクとドキドキでいっぱい。


今回は、ピアニーノという、ピアノより古い時代の鍵盤楽器での演奏会でした。

そのピアニーノの美しいこと!ルノワールの絵にでてきた?と思うような、ほんとに当時のフランス人がピアノに変身したらこうだったに違いない、という感じ。

真紀子さんによると、ピアニーノのその日の気分や体調、お客様によってもその歌声は全然違うと言うのだから、本当に生きているのだなぁ、とつくづく眺めたのでした。

ピアニーノは今どう思っているんだろう、今日は女性多いから張り切ってるの?なんて問いかけて、ピアニーノと会話している真紀子さん。やっぱり生きてる。

彼女の演奏は、ピアニーノと共に歌う風のようで、その思いと喜びは、私たちの心の中をそっと吹き抜けていきます。


さて、私のケータリング。

今がいつだったか忘れてしまうような、そんな不思議な空気の中、お料理を出すことになりました。

何を作ろう、何が好きかな、誰が食べるのかな、そんなことをあれこれ考えながら、ピアニーノでしょ、ショパンやモーツァルトを弾かれるでしょ、ヨーロッパのお食事よね、と思ったり。人数も時間も出すお皿も限られていますから、あれもこれも出すわけにもいかないし、さてどうしよう。

あれこれ考えていたそんな時、真紀子さんに相談してみたところ、「みちえさんの料理と盛り付けならなんでも大丈夫」という、なんとも懐が大きすぎるお答え。


いやいや、真紀子さん、最近の私の料理召し上がってないんですから、そんなに信頼された上に、そんな漠然とした回答、、、と思いつつも、そっか、何を出すとか、何を食べたいとか、そういうことじゃなくていいんだ。ピアニーノが主役で、その歌声を聴く喜び、その余韻、思いを馳せる時間、この空間と時間だけ考えたらいいんだ、と感じたのでした。


ところで真紀子さん、彼女のブログをお読みになればすぐおわかりいただけるかと思いますが、すごく頭が切れて、文才もユーモアもある、という方(ジョルジュ・サンドですか?と何度も言いたくなってしまった)。とにかく、1つ伝えると10理解する、とはこういう人のことね、と思うくらい理解力と想像力が抜群。その上ちっぽけなことにすら敏感に反応してくださるその感性の豊かさ。

私の料理の説明やコンセプトをほんの少しお伝えしただけで、みちえさんの世界はこうね、というその素晴らしい把握っぷり。全てを丸ごと受け入れてくださるその包容力たるや、まるで銀河のよう。私はそこに浮かぶちっぽけな惑星に住む住人。真紀子さんは私の惑星の裏側までちゃんとお見通し、という感じ。私が自分でも気づいていなかったようなクレーターに、花咲いてたよ、という感じ。えーっ!花ですか?!、という思いを何度もしました。やっぱり芸術家の感性は素晴らしい。


そんな銀河のような感性の方だと気づいてから、また改めて彼女のピアノを聴いて初めて、その風を目でみることができたような気がしました。彼女の演奏は、私の勝手なイメージで、どうしても風。そして空気。そして朝日、太陽の光。そよぐ花、緑。雨の匂い。。。石畳や公園、流れる雲。。。

人間の感情というよりも、そこに美しいものがあったから、見せたくて、と言っているかのよう。

これが、私と真紀子さんをつないだ自然の世界なんだ、と勝手に共感。体で感じ取る何かを、心から解き放ちたいという動物的な自然の衝動なのか。

「みちえさんと私は同じ方向を向いてるよね」と言ってくださったお言葉に、私も同じ思いを重ねました。


、、、そういうわけで、お料理は、自然体でお洒落しすぎず、すっと身体に入ってまた抜けていくような、でも彼女の演奏のように、何かポッと暖かい置き土産を心に残していくような、そんなお皿を夢見る気持ちで作っていきました。


二回させていただいたお料理も無事終わり、どうだったかな、と振り返る今。

真紀子さんの吹いた風を遮ることなく、お供しまーす、と雲のように一緒に流れていけていたらいいな、と感じています。


いや、ほんとに毎日真紀子さんのブログ読んで笑ってるんです。素敵すぎて毎日感動。

私、ユーモア足りなすぎだわ、とか思いつつ。