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執筆者の写真Michie

ホームコンサートでケータリング


素晴らしい感性のピアニスト、瀬尾真喜子(http://www.maki-p.com)さんから、前回に引き続きまたケータリングのご依頼をいただき、素敵な空間でのお仕事をさせていただきました。


私の料理に共感してくださって、再度お話しいただいたと思うにつけ、感謝でいっぱいになります。


今回の演奏はバッハで始まっていました。私は裏での準備の合間に、その美しい姿とピアニーノの歌声を垣間見て、その空気をいっぱいに吸ってから盛り付けに入りました。淡々と流れるピアニーノのバッハに、あるがままの自然を重ねるような思いで耳にしました。


いつも、自分のプレゼンテーションを漠然とイメージして本番取り組むものの、最終的にどうなるのかは、その瞬間まで決まりません。真喜子さんの音楽に接してどうなるのか、もうあとはその時の空気に任せて、というのが私のデコレーションの仕方。



今回は、静かに奏でられるバッハを聴き、続いてショパンの雨だれに耳を傾けながら、自然を満喫していた私。流れるように、サラッとあっさりした盛り付けになるかな、と思いながらお皿に向かい合ったら、思ったよりもエレガントなお皿になった気がしました。


そっかー、真喜子さんの音楽って、自然の中で流れるようだと思っていたら、その中にたたずむ教会のような、その礼拝堂に飾られたユリのようだったんだなぁ、と後から感じたのでした。

ドレスやダイヤで着飾ったりはしないけれど、凛として媚びない。風のようだけれど、野放しに咲き乱れる野生の花ともまた違って一輪で主張のある花、そんな感じがしたのでした。


真喜子さんは私の料理や姿勢にとても共感してくださいます。それは私にとって大きな力になります。受け取る側の懐の大きさって、作る側の成長に大きく関わるのです。真喜子さんの側ももしかしたらそうかもしれません。お客様次第で演奏も料理も変化していくのかもしれません。

急に、昔の芸術家のパトロンの偉大さに気づいたのでした。お金を出す、という役割よりももっと深い心をもっているパトロンだけが、芸術家を育てることができたんだろうな、と。相手を理解するという感性の豊かさ、それを伝える表現力の素晴らしさ、アドバイスできる知識の深さ、、、私はここでケータリングをすることで、大きな成長をさせてもらっている、と感じました。



真喜子さんにたくさん感謝。


まだもう一日あります。心も体もベストを尽くすのみの心持ち。

詳細は、真喜子さんのホームページへ。

(http://maki-p.com)


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