top of page
  • 執筆者の写真Michie

ヴィーガンになって思うこと その1

更新日:2019年9月5日



と言っても、完璧ヴィーガンではないのです。

なぜなら、うちにはいただいた蜂蜜がたくさんあるので、それを捨てることは絶対したくなかったり、夫の実家からシシャモが送られてきて、食べてね、と言われたら、一口は食べようと思っていたりするからです。


おかしな主義のくせに徹底してないんだ、と言われても別に構わないのです。

ヴィーガンを主張するためにヴィーガンになっているわけではなくて、誰かに制限されたルールのもとに生きているわけではなくて、自分自身でヴィーガンの生活にしていきたいな、と感じただけですから。


でも、ほぼヴィーガン生活になっているので、「お肉食べなくてもお魚は食べるのでしょう?」「卵は食べるんでしょ?」「乳製品も取らない主義になったの?」とかいろいろ言われるときは、ヴィーガンなので動物性のものは一切とらないのです、と答えると比較的食べないものの説明に関しては楽チンなのです。


と言っても、そのあとも大変で、「なんでお肉食べないの?」「お魚くらいは食べた方が健康にいいんじゃないの?」「生クリームのケーキ美味しいのに」「チーズも食べないなんて人生の楽しみ捨てちゃうの?」「タンパク質どうやって摂取しているの?」とか、、、


私の周りはあまりすんなり「あ、そう」と受け入れてもらえる環境ではなく、アレルギーでもないのに好き嫌い始めちゃって、という受け取り方が大半。

しかも、美味しいものをことごとくやめて、不便な生活を始めた、という感じ。

体にも悪そうだし、偏った食生活だよね、という感じ。

つまり、ヴィーガン=不健康、ワガママ、周りに迷惑、と言った印象が周りには多いので、風当たりが強いのが現状。


美味しい、は人それぞれ。

生クリーム、チーズ、お肉、お魚、卵、昔は全部好きでしたし、たくさん摂取していました。どれも好きじゃない方もいるはず。

今は、好き嫌いではなくて、食べるものを自分で選ぶことにした、ただそれだけです。

ヴィーガンになって今までよりもずっと栄養バランスについて考えて料理をするようになりました。

今のところ、ヴィーガンになって以来風邪ひとつひかず、特に体調の悪いことも起こらず、夫は健康診断で注意されていた中性脂肪や様々な要素が、全てきれいさっぱり解消した、という感じです。


ところが「チーズは好きだけど、レバーは嫌いだから食べない」「卵は好きだけど、お漬物は 嫌い」「生クリームたっぷりのケーキが好きで、魚は嫌い」と主張している人の方が、普通の人として受け入れられるようです。


つまり、なんとか主義、的なものに自己中心的な雰囲気を感じるのかもしれません。

もしくは、ヴィーガン、という言葉が普通じゃなくて、だから普通じゃない人、というような。


私の体は、ヴィーガンになってきてから敏感になってきています。

舌が敏感になり、添加物が入ったものや加工食品を、美味しいと受け入れることができなくなっています。

ヴィーガンの食べ物でも、市販の甘すぎるものや油の多い食べ物を食べると、次の日には顔にいくつものできものがでます。

手作りでも同じです。スイーツの試作試食のしすぎで次の日には大きなニキビが鼻に、ということが何度もあります。

反応が早くなったのです。

不便な体になったもんだ、と非難されることもあるのですが、私はこれはいいことだと感じています。よくないものを摂取したら、よくないよ、とすぐ体が教えてくれた、ただそれだけのことだと思うのです。


そういうわけで、食べないと決めたものは可能な限り避ける、栄養のバランスはきちんと考えて食べる、というのが今の私です。


それでも、チーズやお肉を出されて、あなたが食べないなら捨てるわ、と言われたら食べると思います。無駄にしたくないと思うのです。

食べ物は、何もかもが地球の恵みからもらったもので、収穫できる限り根こそぎ収穫したり、動物から命と思わないような扱いで奪い取ったり、取るだけ取っといて、もういらないから捨てる、というのはあまりにも勝手かな、と感じるからです。


ヴィーガンになるには人それぞれいろいろな理由があります。

ヴィーガンだと言った途端に「自分に言わせれば植物だって命だけどね」と言われたこともありますが、私は命を奪わない主義でヴィーガンになったわけではありません。

熱烈な動物愛護主義でも環境保護主義でもありませんが、それでも、酷い動物の扱いには憤りを覚えますし、地球にゴミを捨て続けて壊れていく地球を見過ごしたいとも思わないのです。


今できることを私なりにしよう。ただそれだけです。

大切なことはなんだろう、優しい心とはどういう状態だろう、自分には何ができるかな、本当の豊かな暮らしとは、地球や動物や何かを犠牲にすることで成り立つものかな、そんなことを日々考えながら生きているだけなのです。




Comments


bottom of page