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  • 執筆者の写真Michie

Istanbulへの旅 食事事情と心の変化

更新日:2018年10月6日




料理教室も一つの目的で向かったイスタンブール。

残念ながら外食をあまりしなかったのですが、それでも食に対して思うところは数限りなくあって、本当に行ってよかった、と心から思える旅でした。


イスタンブールでとにかく感じた一番の驚きは、トルコ人のチャイ(紅茶)を飲む人の多さと頻度の高さ。

トルコはトルココーヒーなんでしょ?と思っていた私にはびっくり。


1日に10杯以上飲むのが普通と聞きます。

私も行っている間中、どこに行ってもチャイ、いつもチャイ。。。ガラスのグラスに、熱々でもてないほど並々と注がれた、濃くて美しい色のチャイ。

取っ手もないし、他の人はどこを持って飲むんだろうか。。。と首をかしげながら、毎回グラスの先端をつまんですすりました。



しかも、たっぷりお砂糖を入れて飲む方も多いと聞きました。

小さなグラスのチャイに2〜4個お砂糖がついてくるところも。

えー、体に悪すぎー、太るよー、と思いますか?


「健康に悪いからって、大好きな甘い紅茶を飲むのを我慢するストレスのほうが、よっぽど体に悪いよ!」というセリフも聞いたことが。。。


日本では、健康に悪いからお砂糖も油も控えて、と言われたり、体にいいからスーパーフードは摂取する?次のブームのスーパーフードは何?朝はスムージー?納豆がブーム?鯖缶がブーム?ココナツオイルはもう古い?何がアンチエイジングに効く?記憶力には?シワには?冷え性には?ダイエット、ダイエット、ダイエット、二言目にはいろんな人の口から飛び交う単語です。


真剣にテレビや雑誌の情報を取り入れつつ、話題のイタリアンに行き、変わった料理は一度は食べてみたくて、バターと砂糖たっぷりの流行りのアップルパイの列に並ぶ私たち。。。

フレンチブームがあって、イタリアンブームがあって、アジアンブームがきて、香港スイーツがきて、ポップコーンやパンケーキのブームがあったり、ブームが去るとお店は消えて、やっぱり健康には日本食よ、と言われて戻ったり、、、


私たちの、毎日を支えている芯になる食事って何なのだろう、と感じます。


イスタンブールにもファーストフードやインスタントフードはあると思います。

イタリアンや日本食、中華レストランもあると思います。

しかし、私は行っている間一度もそれらのものをみかけませんでした。

ファーストフード?ケバブサンドでしょうか?美味しいパンに、今日焼いた今切りたてのお肉を挟んだサンドイッチ。十分手作りサンドイッチです。サバサンドしかり。



地元の食堂のようなところに入ると、おじさんたちが手作りしたお惣菜の数々がたくさん目移りするほど並んでいました。


伝統的なトルコのお菓子が食べられるカフェに山のように人がいて、みんなチャイを飲みながら大きな大きなお菓子に取り組んでいたり。。。

プラスチックに入ったお惣菜や、パックされたサンドイッチ、どこかに売っていたのかなぁ、と思うのです。



初めて行って、ほんの短い時間の滞在ですから、トルコのことは何もわかっていないと言われてもよいくらい何も知らないかもしれません。

それでも私の印象では、豊かな食材と手作りの料理と伝統をものすごく愛している国だ、と感じたのでした。


東京にいるからこそかもですが、産地直送に飛びついたり、オーガニックオーガニックと思って野菜を買ったり、食事のバランスは、とか、玄米を食べてお味噌汁を飲んで、とか、野菜はたくさん食べるように伝えなくては、とか、たんぱく質は何で補わないと、ビタミン12が足りてないから、とか。この食材は体を冷やすから避けたほうが、これを食べれば代謝があがる、とか。夏バテにはこれが効きます、とか。。。


私は現在、基本的には乳製品も卵もほとんど摂取しません。

お肉も食べません。お魚は稀に食べます。

でも、何不自由なく、何の欲求不満もなく、美味しくご飯を食べています。

よく食べるので、すごく痩せることもないのですが、どんどん太ることもありません。

ニキビもほとんどできなくなり、便秘にもほとんどなりません。

この食生活、悪くないな、と思うのです。


それでも、トルコに行ってとても真剣に思いました。

私の食生活って何なのだろう、私は幸せに食べてるだろうか、と。

食べるってどういうことなのだろう、と。

何を食べる、何を食べない、って何なのだろう、と。


日本で「私はお肉とか乳製品を食べてません」と言うと、

「えーどうして?たんぱく質は何から摂取しているの?カルシウムはどうしてるの?バランス悪いよ。どうしてそんな偏った食生活にしてるの?体壊すよ。アレルギーじゃないのに食べないなんて、わがままなんじゃないの?チーズくらい食べれば?発酵食品だよ、体にいいよ。バター使った方が美味しいのに。でもちょっとくらいは食べるんでしょ?」

と本当にたくさんたくさんいろんなことを言われます。


外国の友人に同じことを言うと「そうなの?それは君の選択だからいいんじゃない。」終わり。

そうです。何を食べるかは、私の選択です、私の人生です。

私が健康で幸せであればそれでよいわけなのです。


何を食べて健康でいられるか、何を食べたら幸せでいられるか、

それって何なのだろう、と考えます。

あらゆるものを食べることができて、あらゆるものが選べる時代。そういう日本。


イスタンブールでお水のペットボトルを買おうと思ったら、たぶん一種類しかないのでしょうか?どこでも同じお水しか見かけませんでした。

ガムを食べている人を何回か見かけたのですが、みんな同じガムを食べていました。え、ガム一種類ですか?と思ったのでした。

街中の出店で売っているのは、どこもかしこもシミット。私もファンになってしまったゴマパンです。どこでもシミット。ここもそこもあっちもこっちもそこら中シミット。




トルコのことは、全然知らないことだらけ、定かではないことだらけですが、選択肢、種類が少ないのは確実だと感じました。


日本はそれにしても何もかも種類の多いことよ、と思うのです。

選びきれないほどの選択肢が、ありとあらゆるものがありとあらゆる種類を揃えているのです。そしてありとあらゆる世界中のものが買えるのです。

日本のものはどれだろう、日本のもの食べてるかなぁ、と思ったりもします。


選択肢が多いってこと、素晴らしいかもしれません。

でも、そんな必要ある?と疑問ももったりしました。

お水、、、こんなに種類いる?外国のお水、そんなに好き?と。


外国のクッキー、こんなにもたくさんあって、どれが美味しいやら、どれがカロリー低いやら、どれがヴィーガン対応やら、どれがオーガニックやら、どこの国のものやら。。。

とうとう何を買っていいかわからなくなって買えない。。。

スーパーで見かけるクッキー、どれも知らない材料だらけで何が入ってるやらさっぱりわからないけど、美味しいと感じるように制作されているのだろうなぁ、と。


ところで、トルコの朝ごはんは、どうも聞いたところによるとゴージャスです。

普段のOLさんやサラリーマンの朝食ではなくて(朝、出勤途中なのか、シミットを買って歩いて行く人をたくさん見かけました)、休日や祝日や、家族が集うときや、おもてなしをするときです。


食卓に並びきれないほどの料理が並び、トルコの主婦はすごくお料理するのだなぁ、と感じます。細かいものから時間のかかるものまで、なんでも作るんだな、というのが私の印象。

すごい量なのでゆっくり食べる、友人や家族や大切な人と、たくさんお話ししながらたっぷり時間をかけて堪能する。そのためなら労力を厭わない、そういう感じがしました。


友人から、外で娘と朝ごはん中だよ、ともらった写真にも、テーブルいっぱいの料理。

私、朝ごはんでこんなにたくさん食べたことがありません。

昔むかし、外国に行ったとき、ホテルの朝のビュッフェでとってきたお皿に山盛りの料理ですら及びません。


「朝ごはんは排出の時間ですから、あまりたくさん食べるのはよくありません。」

そう学んで実施していた時期も長くあります。


トルコの朝食、本当に素敵です。

私には、理想の食卓だと感じました。

もちろん毎日のことではないでしょう。

でも、何をどれだけ食べましょう、とか、そういうとき、複雑なことは何もいらない。


オリーブ、きゅうり、トマト、チーズ、卵料理、野菜の煮込み、ドルマ、ボレッキ、ペースト、ピクルス、パン、、、

きっといつも定番、というものがたーくさんあるだろうな、と思うのです。

たくさん用意して、もてなす、楽しむ、会話する、

人を大切にする、大切な人と共に幸せな時間を過ごす、

人生を大事に生きる、人生を幸せだと感じて生きる。。。

そう感じました。


食べるって何なのだろう、生きるってどういうことなのだろう。

幸せに食べるってどういうことなのだろう、幸せって何なのだろう。

トルコから帰ってきた私の心の中です。


また一から考え直し、立て直し、歩んで行くのかなぁ、と。

たくさんの大切なことを考えさせられる旅です。。。

いろんなことがガラガラと崩れ落ちるように感じさえします。

頭の中も心の中も、ぐるぐるです。


そうなのです、私の旅はまだ終わっていないのです。

私の心はまだイスタンブールにいるのです。

いろいろなことを考えながら、悩みながら、まだトルコに思いを馳せているのです。

食べるって、生きるって、何なのだろう、と。



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