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  • 執筆者の写真Michie

ヴィーガンになって思うこと その2

更新日:2019年9月5日

最近、新しい人に会って自分のことを説明するとき、とても防御体制に入っていることに気づきました。自分の周りを要塞で固めて、いつでも攻撃から身を守れるようにしているような感じ。なんならいつでも攻撃できるように。いかんいかん。。。


食生活を変え始めた頃は、こんな気持ちではなくて、もっと新しいことにチャレンジしている喜びと、よいことを学び吸収し実践し始めたワクワクでいっぱいだったはずなのに。


いじめられたり、蹴られたり、痛い思いをしてきた野良犬が、強烈にどう猛なのが、急にわかった気になったのでした。

誰でも理不尽に攻撃され続けると、不信に陥るもの。自分を守るため。


今の私は、そうなりつつある、とちょっと感じているこの頃。


日本でも、ヴィーガンという言葉は徐々に知られつつあるし、健康志向がブームでもあるし、ニューヨークやハリウッドだったら、知っているどころか最先端でファッショナブル。


それでも肉や乳製品、卵や魚を食べるのが当たり前だった長い長い年月は、それが実際健康的であろうとなかろうと、「食べないなんてありえない」「絶対不健康」「じゃあ何を食べたらいいわけ」「私はしないけどね」という拒絶感をもたらすのかもしれない。


それでも、ではなぜ違う食生活をしている人を攻撃するのか。

攻撃される側の受ける苦痛は、簡単には消えない大きな心の負担となるのに。


「なんでそんなことやってるの?」「いつまでやるつもり?」「どうしてそんな不幸なことするの?」「人生を楽しまないの?」「旦那さんにまで苦しみを強制してるの?」「旦那さんの喜びまで奪ってるの?」「自分1人でそんなことやりなよ」。

「私はあなたに迷惑をかけているわけではなく、自分自身に対してよいと思う人生を送ってるんだよ。私の人生でしょ。」言って通じたことは一度もなく。


面と向かって攻撃されたとき、気にしない、関係ない、と割り切ることはとても難しいこと。攻撃し返すことは簡単。私は自分の選んだ道を信じているし、これが正しいと主張することは可能だから。相手の食生活を猛烈に攻撃して、どれだけ病気になりやすいかまくし立てて、ショックを与えることも、傷つけることもできるのかもしれない。それでも、それ、相手と同じことをするの?と思うにつけ、そんなことを考えてしまった、そういう自分がとても嫌だと思うのです。


でも最近、この相手の気持ちがわかるような経験をしました。

私を攻撃する立場の人の心境。

新しいことを受け付けない保守的な気持ち。間違っていると思うことをしている人に対しての反発感。間違ってるよ、と指摘したい欲求。正したい、という正義感。むしろ自分が攻撃されているかもという不信感。私の食生活の何が間違っていて、あなたはヴィーガンになっちゃったわけ?という、噛みつくような気持ち。


それは、大切な友人から「君もラマダン(断食)したら?」と勧められた時に起こりました。

「え?なんで?なんのために?、、、私は、食生活を変えて、体によい食生活を目指して勉強したり、新しいレシピを日々作る努力をしたりしている。それは、食べることが好きだから。料理が好きだから。なのに、料理するな、食べるな、っていうの?」

「何も食べないわけじゃないよ。イスラム教ではラマダンの時、日中は水も食べ物も取らない断食をして、夜中に消化のよいものを少しだけ食べて祈るんだよ。体も心もキレイに研ぎ澄ますためなんだよ」と言われてまた憤慨。「水も飲まないなんてありえない。1日水飲まないなんて生きていけない。お腹すいたらイライラする。夜中に食べるなんてむしろ体に悪い。」「じゃあ、夜中にあまり食べなければいいんだよ。」「もっとお腹すくじゃん!なんでそこまでして断食しなきゃいけないの?!本当に体にいいわけ?イスラム教徒はさぞ長生きなんでしょうねぇ。」とイライラして、攻撃した私。


本当は、たった1日食べないことは、そんなに大したことではないのかもしれないのに、ものすごく拒絶感を感じて反論した私。1日たりと料理しない日がなく、料理のことばかり考えてきた人生を思うと、泣きたくなるくらい腹が立って、人生を否定された気分。食べない 日を考えただけで気が滅入るし、不愉快な気持ちになる。

「え?ちょっとアドバイスしただけなのに、なんでそんなに怒るの?別に強制してるわけじゃなく、やってみたら?って言っただけなのに」と返答。

「それはあなたの習慣でしょ?あなたがやれば?私はやりたくないし、やるつもりもないし!」


私は、自分が受けて傷ついてきたのと同じような反応をしたのかもしれない。

あとから冷静になると、1日の断食って、別に私のやっていることを何も否定されたわけじゃないのに、どうしてこんなにも拒絶感があるのだろう、と悩みました。

私は、相手が断食をすることに対して、何も思わないし、反対もしないけれど、この気持ちだったんだ、と感じました。

ただ、私は相手にヴィーガンを押しつけたり勧めたりしていないだけ。

でもきっと感じた気持ちは同じ。

自分の人生を否定されたような錯覚。


私的には、相手が受け入れない、は別に今のところOK。

OK?たぶん。。。

なぜ、たぶんか?


ヴィーガンになってから、より様々な本を読んだり調べたりして勉強しています。栄養はもちろんなこと、根拠や、いろんな考え方があることを知るために。

そして知ったのは、動物愛護の気持ちの強い方にとっては、周りの人が肉を食べることすら嫌悪の気持ちを感じる、ということ。相手が菜食を受け入れない、ということは、相手が肉を食べるのを受け入れる、ということ。

苦しいだろうなぁ、と思うのです。

友人の中には、「自分はヴィーガンの人を受け入れるし、健康にも環境にもいいと思うよ、でも人に強制するのはダメだよね」、という人も多い。すごく多い。

「そうだよね、私は誰にも強制しないよ」、と答える私。


強制しない?

私は、誰にも、ビーガンになれば?とは言わないけれど、でも、心の中では、動物性食品を摂取しないほうが体に良いよ、と思っているのは事実。

インスタント食品を食べない方がいいよ、とか、添加物たっぷりのお菓子は買わないほうがいいよ、とか、心の中で。

口には出さないように努力しているけれど、果たして「私はインスタント食品は食べないの」と相手にいうことは、相手を攻撃していると受け取られないかどうか。。。


人の価値観は様々。人の受け取り方も様々。

勉強すればするほど、いろんな事実を知れば知るほど、人の意識、価値観、生きてきた人生、衣食住、言動、影響力、強制力、いろんなことを考えさせられる日々です。


何かせめて心の葛藤を和らげる道がないのかと、今は手探りしながら進んでいるところ。

相手を否定せず、自分が傷つかない道を。




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